前回からの続きです。
ここ数年、スクールカーストというワードが飛び交うようになった教育現場。
ここで説明しよう。
スクールカーストとは、学校・クラス内にて学力・スポーツ・容姿・発言力・コミュ力・モテるなどのプラス要素が高い生徒が学校・クラス内で権力を握り、そこから暗黙の階級が生まれる制度のことである!
つまりオタク・不潔・コミュ症・不細工などのマイナス要素の高い生徒は最下層に追いやられてしまい、長い学校生活において常にハードモードを強いられる。
まあ人間社会ではありがちな暗黙の階級だが、学校内で特に目立つため、最近ではスクールカーストという言葉がよく使われている。
僕の見解も交えてのスクールカースト解説でしたー。
そんな暗黒階級制度・スクールカーストの階級を決める大きな役割を果たすスポーツがある。
そう、ドッヂボールである。
最近の教育現場では場所によりけりだがこのドッヂボールの強制参加を規制する動きも あるらしい。
今さらおせーんだよ。
僕はそんなドッヂボールが大嫌いでした。
コート内では絶えず剛球が飛び交い、いつ怪我するか、殺られるかわからない残酷なスポーツです。
それに僕は人に、ましてや女子に硬いボールなんてぶつけられない。
「女の子には優しくしろ」と、今は亡き女たらしの祖父が教えてくれたので。
とにかくドッヂボールは嫌いでした。
ただ黙ってやられるのはシャクなので「ひたすら避ける担当」になりました。
しかし、このひたすら避ける担当は思わぬ地獄の展開を招きます。
そう、最後まで生き残ってしまうのだ。
盾になりえる戦える奴ものろまな奴も全滅してしまい、たった一人だけ取り残される。
敵の球のコントロールやチームワークの乱れが出るまでひたすら避けまくる。
自分のターンが奇跡的にくるか、味方の外野に球が回らない限り、プレッシャーに晒され続けることになる。
当然、僕は攻撃も防御もしない。
当然皆からの期待は薄い。
一瞬のミスで試合は終了する。
思えば、ここでなぶり殺しにされる試合も少なくなかった。
でも敵のミスを誘発させて逆転させたことも多々あった。
そう、「ひたすら避ける担当」はドッヂボールにおいて僕にとっての天職となっていたのだ。
ドッヂボールという野蛮なスポーツにて僕と同じ「ひたすら避ける担当」の者たちへ言いたい。
この「ひたすら避ける」ということしかできない自分をむしろ誇りに思ってほしい。
避け続けることでチームが勝利することも大いにあり得るからだ。
人には向き・不向きがある。
僕は攻めることも盾になることもできない。
でも回避し続けることでも勝利に導くことができると知った。
そんな自分の特性を、 どうか 大事にしてね。
そんなわけで義務教育時代の運命を決めかねない暗黒階級制度・スクールカーストのランクを決める極悪野蛮スポーツ・ドッヂボール。
この経験は無駄じゃなかったと、この記事を書いて実感できました。
ありがとう
さようなら。